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聴く人に「届く」演奏を目指して

演奏する人と

その演奏を聴く人。


「聴く人の心に届く音楽を演奏したい」

という奏者の想いはよく聞くものじゃないでしょうか。



この両者の中で共有できるのは?





それは「空気」じゃないか?

と思っています。



音は「空気の振動」


空気が振動して、伝播することで他者の耳に届く。


音楽は、音を楽しむけれど、

違う視点で考えてみると「両者の中で共有している空気の振動」を楽しむものなのかも、と。



目に見えない、空気の振動を意図的に起こすのが奏者がすること。



その空気をどう動かしたいのか。

聴衆に対してどんな空気の流れを共有したいのか。



そんなふうに考えていくと、

視野が広くなることにも繋がり、

全身をスピーカーのように使えてくると思いました。






逆にこうはしたくない↓


楽譜に向かって音をぶつける。

音を鳴らすことに集中しすぎてその場にいる人を無視する。

音の出口であるアンブシュアや、キーを動かす指の動きに意識が行き過ぎる。


楽譜も、アンブシュアや指も、

音楽を演奏するためのツールであり、演奏を成立させる一つの部品でしかないんですよね。


演奏を聴く人も

「今からどんな音楽を聴かせてくれるんだろう」「これからどんな時間を過ごせるんだろう」

というワクワクがあるわけで、

「音が鳴るのか鳴らないのか」「指が動くかどうか」なんて細かいことを見に聴きにきていないので(批判的でなければ)、


奏者は自身が思う音楽を空気に乗せてただただ表現することを心がけて

そんな空気を共有していく意識を持つことが

必要なことじゃないでしょうか。



その先にどんな評価をするかは

聴き手側の好みに依るので、

そこまで奏者が気にする必要もなく。




ただただ「奏者は空気を動かして、自分が思う音楽を生み出し、その空間を一緒に味わう」

それさえやれば、聴く人に届くということが必然的に起こるのでは。



そのためにも

「どんな音楽をつくりたいか」は常に念頭に置いておきたい大切な要素で、


それがあるからこそ

ようやく演奏っていう「空気の振動を生み出す」行為の必要性や意義が増すんじゃないでしょうか。


自分がやりたい音楽表現のために

自分の身体をフルに使って、

自分が演奏し空気の振動を起こしたいその場の空間隅々まで意識内に含め、

実際に生まれる音楽がその場その時だからこその化学反応を経て、

どうなっていくのか。


演奏自体の完成度を高める練習もあるかもしれないけど、

上記のようなことを含めた練習はクリエイティブで、とてもワクワクします。



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↓書いているのはこの人↓

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泉山 民衣

​Tae Izumiya

兵庫県在住、B型末っ子自由人。

サクソフォン奏者・アレクサンダー・テクニーク教師。昭和音楽大学卒業。

顎関節症、腱鞘炎になったことから、自身の身体の使い方に原因があるのではと考え、2016年からアレクサンダー・テクニーク(自分の使い方。心身のメソッド)を学び、教師資格を取得。

身体について多く誤解していたことを知り、自身の意図で動きが変わり、痛みや不調、日常から演奏まで幅広いパフォーマンスが想像以上に改善することを身をもって体感しています。
​最近はクラリネットとトランペットに挑戦中。

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