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『間違っても大丈夫』教師の言葉の意図と自分への許可
先生から質問されたとき、問題を出されたとき。
ちゃんとやらなきゃ
間違えたらどうしよう
ちゃんとできないと恥ずかしい
こういう気持ちってどの場面でもありますね。
授業中
講習中
レッスン中
などなど
本当にどこにでも。
学んで成長して知識を増やす中で、一度どこかで
「この考え方で合ってる」
「これが答えって知ってる」
っていうような自信が持てたら、答える怖さも少し薄れてくるものでもありますが、
自信が持てないまではやはり「間違えたらどうしよう」に飲み込まれてしまうのかもしれません。
ですがずっとそのままでは、教わる・勉強することにストレスが溜まり、
日々がしんどくなる可能性も。
そんな中でも、教える側は『間違っても大丈夫だから答えてみて』と言います。
そう言われたって緊張しちゃう・・・
そもそも、教える側が質問する意図は何でしょう?
レッスンも授業も講習とかも、やり方・考え方を教えている場なので、
生徒が間違えることがあって当たり前と思っています。
完璧な答えを求めていません。
良い悪いを判断したいのではないんですね。
私が思うに知りたいのは
理解度がどこまで進んでるか
どう考えてるか
これらを知りたくて質問してるものじゃないでしょうか。
私はそう思います。
質問をして返ってくるその答えを聞いてから、提供する情報・提供の仕方を考えたいわけで。
むしろ何も考えずにパッと出てきた素直な言葉が欲しいし嬉しいものだと思います。
それによって、生徒側の理解に向けて教え方を臨機応変に変えていけるので、
生徒にとっては理解が深まるチャンスに。