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悔しさの使い方

人は『人』に救われる。


なんだかそんな言葉が湧いてきた、ある日のレッスン。


この『人』っていうのは、自分じゃない人でもあるし、自分自身でもあるなぁと思います。



 
悔しくて悔しくて・・・

ピアノを習いにきている小学生のレッスンの中で、その子から涙が止めどなく出てきてしまう場面がありました。


悔し涙なんだろうな…と思いつつ、 その子の『言葉』に耳を傾けようと思い、以下のようにお話していきました。



わたし「泣きたいなら、思う存分いーっぱい泣いちゃったらいいよ。声も我慢せずに出しちゃっていいよ。今はそれを一生懸命したらいいよ。」


時間をおいて、少し落ち着いてから、


わたし「何で泣いてるのかな?何が悲しい?」


その子の言葉を待ちました。


すると『弾けなくて…』と返ってきました。


わたし「弾けなくて泣いてるんやね。 じゃあ弾けない時、どんなこと考えてるのかな?」


と聞いてみると、『上手に弾きたい…』と。


わたし「上手に弾きたいんやんねぇ。でも上手くいかない。 じゃあそんな時、自分に何て声をかけてみてるのかな?」


傍で寄り添って、よーく考えているその子を見守っていると、

『なんで弾けへんのかなぁて思ってる』との返答。

その言葉を言う声や表情からは、少し、自分を責めるような印象がありました。


わたし「そうかぁ。そう思って、じゃあ何したら弾けるんかなぁ?て自分に言ってみたらどうかなぁ?」


『…もっといっぱい練習しないとダメって思ってる』と。


わたし「そっかそっか。じゃあ、何の音から何の音に、どの指でいくか、って考えたことはある?」


『ない』


「じゃあ確認してみようか!」

と、少しずつ、その子のペースを見ながら促してみました。



そうお話をしてる間に少しずつ涙は止まり、前向きになっていく様子が見られて、